2010年6月23日

自分が無い人ほど他への依存率が高い

c4514200 自分が無い人ほど、他への依存率が高いんだと思った。
「自分が無い人」・・・つまり俺は他ごとへの依存度が高い。
物や事ならばまだ良いが、他の人となると大変だ。

物や事といったのは、お酒や煙草。
自分が無く、暇だからに近い感じで酒と煙草をやる。
今は禁煙を試みている。

俺はたまたま今は違うが、ゲームも同じだと思う。
自分が無く、やりたい事もなく、一日のスケジュールも曖昧・・・なんて人はゲームにはまっている人がいると思う。
ゲームをやることにより、その人の人生の何かに結びつく人は数少ないと思う。
しかし、終わり無きゲームの世界に熱中する。
仮に言うなら与えられた世界、与えられた自分だ。
携帯も含め、ゲームをやる人は多い。
mixiやgree、モバゲーなんかのすべてのプレイヤーのゲームに費やしたゲーム時間を合計すると、何人分の一生の時間になるのだろう・・・なんて時々思う。
それくらい、自分が無く、与えられた環境で生きている人が多い気がする。
俺を含めね。

漫画は、まだ健全だと思う・・・、終わり無きということはあまり無いから。
しかし、漫画やドラマ・アニメはやはり与えられた世界・与えられた物語をみて楽しむということになりる。

サービスや仕事というのは、与えることだと思う。
お金と引き換えにね。
そんな一部の余興的な与えることに依存した与えられた環境が増えた。
サービス・仕事としては成功だが、社会は与えられないと生きていけない人が増えたと思う。
俺を含めね。
そんな与えられる環境に俺も漬かっていていいのか?
このまま自分が無くて、自分の意思がいいのか?
俺も与える側の人間になりたい。
なんて葛藤が30代前半の俺にはある。

誰かが言っていた、ipadを返却した理由
http://blogs.hbr.org/bregman/2010/06/why-i-returned-my-ipad.html
Bregman氏が『iPad』のデメリットに気が付くのにそう時間はかからなかった。彼はそれを「it’s too good(良すぎるのだ)」と表現。彼が『iPad』を返品した理由は、あまりにも『iPad』が便利で良すぎたから。
あまりにも簡単に、やりたいことが全部できてしまうため、「暇な時間は『iPad』を使わずにはいられない」というのだ。彼は「僕が良いアイデアを思いつくのは『iPad』で音楽を聴かずにランニングしているときや、何もせずに誰かを待っているとき。退屈は貴重な時間だ」とし、「退屈なとき、無意識にではあるけれど僕らは自分に語りかけ、自分の心の声を聞いている」と綴っている。
いろんな余興的なものに依存する結果、時間を費やし、こういった悩む時間すらなくなる・・・。
そして与えられる人間になる
そんな社会だと思う。

悩むという行為を、余興に没頭しすぎてしない。
悩むことが良いわけではないが、自分というもの・これからの自分・自分がしたいことについては悩んで当然だと思う。
流されて生きてる俺が今思うにね。
もっと、自分について考えて生きていきたい。
今は自分が無いが、いつかは自分を創りたい。
みんな自分を創るために時間をかけ生きているんだと思う。

ちなみに、物や事に依存ならばまだ良いが(自分一人、自分の人生の問題だから)、
他の人に依存してしまう場合・・・例えば、恋人とか自分を癒してくれる人・・・これは厄介な問題だと思う。
例えば、恋人がお互い自分を見失い互いに求め寄り添っている時間・期間は問題ない。
しかし、片方が自分に戻り、自立した同士が共に生きて行きたいと思ったとき・・・、恋人依存が問題となる。
依存している方はなんで相手してくれないのと妬み、依存されている方は自分(自分時間)を奪われていると感じ出す。
俺の場合は今、不倫相手に依存し出している・・・危険だ。
他人や物や事に依存しない、自分を持ちたいと思う。
俺は今は悩む時期といている・・・しかしいつまでも悩んでいたら始まらないのも知っている。

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