あなたが求めてやまない「ほんわか気分」に、ほぼ確実になれる道は、結婚して家庭を持つことです。
「それは相手による」と言われるかもしれませんが、善きにつけ悪しきにつけ、暴力亭主でない限り、誰と結婚しても同じでしょう。
熱愛のさなかでは、相手のすべてが長所に見え、欠点は無視してしまいます。
これを心理学では「ピンクレンズ効果」(色メガネで見てしまう)という
特に女性の側が経済的に豊かで、夫に頼らず生活できると、よけい離婚率が高まります
誰がこの愛を知っているだろうか?誰がこの愛を体験したろうか?この愛の本当の名は友情である。
私たちは、天才生物学者ドーキンスが主張したように、遺伝子を運ぶ「乗り物」であり、「自分の遺伝子全体にとって都合のよいことなら何でもみさかいなく行うようにプログラムされた、利己的な機械」に過ぎないのでしょうか?
もちろん、そんなはずはありません。
あらゆる生物の中で人間だけが、並外れて優秀な頭脳を持っているので、遺伝子の言いなりにならずにすむのだ。
ハイデガーは、周りの人と同じように行動して安心している人々のことを、「世人」と読んでいます。
町に出れば、似通った服を着た人たちが、いつもと同じ電車に乗り、いつもと変わらぬ仕事をして、いつもと同じような食事をして、毎日を、一生を終えています。そんな生活に疑問を感じないどころか、周囲に流されることに安らぎを覚える人たちを、ハイデガーは「世人」と呼びました。
「死」と聞くと、50年も60年も先の、遠くの出来事のように思われます。
しかし、明日も命があるという保証があるでしょうか
もし人生に悔いが残ったら、それはすべて自分の責任です
現在の私を作ったのは、過去の私の決断と行為です。また、「私が今、何をするか」が、私の将来を決めるのですから、現在の私が未来の私を作るのです
死を前にしたら何の価値もなくなってしまうものは、最初から意味のないものだったのです
負担が思い「自由」よりも、手っ取り早い「安心」を求め、せっかくの「自由」を捨てて、みんなと同じような人生を選んでしまうのです
無知でありながら知っているつもりの人は、知る努力をしませんから、いつまでも無知のままです
「私の体」の細胞の入れ替わり方は、「モー娘。」の比ではありません
「私の体」も刻々と変化し、一年で物質的には赤の他人になってしまうのに、どうして私は「私の名前」と、同じ名前で呼ばれるのでしょうか。
「私」の正体は?
我思う、ゆえに我あり
肉体と一緒に魂が死ぬと考えるか、死なないと考えるかで、私たちの生き方は180度、変わります。
もし死ねば無になるなら、精一杯楽しく生きればよいことになります。罪を犯しても、見つからなければ平気です。
どれだけ悪を重ねても、生きている間ごまかし通せば、死ぬと同時に帳消しになるからです。
伊藤健太郎
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