一つの時代が終わりを告げようとしている。
ついに、不倫相手をしてくれていた女性が、「終わり」をイメージさせてきた。
不倫の終わりのイメージ・・・
それは、彼女の選択結果を聞かされることだ。
「彼女は、別の人との結婚することを決めた」
という彼女の選択結果を話した。
これは最もなことで、最も経済的にも倫理的にも論理的にも正しい選択だと思う。
この選択は彼女の決めた結果を話すためのものではないと思う。
ファイナルアンサーを俺に求めていると言う事だ。
これは俺も時々してしまう手だから分かる気がする・・・。
結局、自分で終わりを決めているが、本当は相手に止めて欲しい事も期待している。
悩んでいる状態だ。
しかし、不倫という関係・・・取りたくて不倫と言う関係をとっているわけではない。
そういう事情があって不倫と言う関係をとっているわけだ。
彼女はこれから先があり、俺はこれから先はない人生。
彼女との「これから先」ではなく俺自体のこれから先がないのだ・・・そういう選択をしてきてしまったのだ。
それで不倫をしている。
仮に、子供のことを考慮から抜かした場合、
迷わず俺は不倫相手の彼女を取るだろう・・・それくらい忘れていた感情「好き」というような少し切ないような感情を抱いている気がする。
これが本当に「好き」という感情か分からない・・・もう忘れた感情だ。
しかし、確かに胸に何かがつかえる感情だ・・・そして、その想いが更なる感情に拍車をかけるようだ。
恋愛?
付き合っている状態や、結婚して子供ナシの状態ならば、まだ引きかえしがつく・・・正直。
しかし、子供がいて・・・それ以上に色々あり・・・今の俺の状態では引きかえしをする決断がとても出来ない・・・。
それくらいの状態だ、「結婚子供ナシの引きかえしは出来るということができる」というくらいの状態だ。
子供のせいにしたい訳ではないが・・・しかし子供のために生きる決断をしていたのだ、復縁というときに。
まさか、俺がこんな気持ちになるとはあの時は思わなかった。
しかし、ここは「終わり」を告げるのが大人なのだろうと考える・・・切ない・・・自分勝手な考えだが。
割り切った利己的な感情・・・感情を殺し表に出さないのが大人なのだろうか?
子供を持つことが大人なのだろうか?
もっと自分の時間と自分の選択肢が欲しい。
自分の選択肢がないということは人生終わっていると言う事だ。
子供のせいで人生終わったという考え方は良くないが、現実としてそれを受け入れても良いというか俺自体が子供との生活を望んでいるのも確かだ。
人のせいにしない、自分の決断が出来る人間になるべきだ。
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