会社に未来を感じなくなった。
自分の給料もこの会社のサラリーマンを続けている限り見えているし、
一生の計算も出来てしまいそうだ。
つまり人生見えている。
「人生が見えている」と言うことは、言い方を変えると計画的。
計画した人生が送れる。
逆を言うと、無難な普通な一般的にある人生しか遅れないし、
その人生の送り方も決まっている。
思い通りの人生だが、在り来りの俺でなくてもよくある人生…。
統計的にはそうなんだ。
今の会社にいる限り給料は見えているし、人生でどれだけ稼ぐかは計算しようと思えば可能だ…悲しいくらいの計画された現実を知る人生設計。
しかし、今の会社を出ると言う考えを取り入れると、人生は未知数だ。
逆に言えば最低限さえ保証されない。
今日、会社のリーダ会議に出て、思った事は、
給料は置いて置いて(増えないから)、俺は何にも会社に対して思い通りに意志を出していないし行動していないということ。
せめて、会社を辞める覚悟があるなら、
会社の事を知り、会社の方針を知り、自分の意見が会社と会わない事まで交渉した結果、辞める・辞職するならわかる。
俺はまだ何もしてないくせに、給料という目の前のリアルだけで不平不満愚痴を言っていることに気がついた。
もっと、社会は広い。
知った上で見切りをつけるのと、知らないくせに見切りをつけるのでは大分違うと思う。
もっと知る努力をしてみろよ、俺!
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